Dr.ブラックスワンによる不確実性と資産運用

ナシームニコラスタレブは、正規分布を前提にした株価データ、経済データのリスク(標準偏差)、リターン、そしてそれにもとづくポートフォリオが、現実に、ブラックスワンのもとで、吹き飛ぶことを詳細に記述してます。そこで、ブラックスワンに備えて、ナシームニコラスタレブのような、バーベル戦略には及びませんが、現実の株価、経済データに当てはまらない正規分布にもとずくポートフォリオ理論にしたがえば、吹っ飛ばされる。。。
外れ値としかみられてなが、1回の破壊力が凄まじいブラックスワンとともに、正規分布で予想されるインフレにそなえて、自分が読んだ本を中心に、拙いパッシブ資産運用について自分の考えます。

ニュースはノイズでいっぱいー損失の衝撃力は利益の2.5倍?

今日も、ニュースで、ギリシャと中国が、世界と日本経済に及びす影響するとかしないとか。。。 
ノイズ満載。
ナシームのいう「金融芸人」って、こんなヒト?
まさに、ナシームのいうとおりです。
「後からみれば物事はいつだって明らかだ。」
つまり、過去の歴史の予測だからね。。。
テレビには、 「何か大変なことがこれからおきるなら、事前にそれがわかると思い込んでる」ヒト。。。
なぜ、ニュースはノイズがいっぱい? 


ベル型の正規分布では、観測結果の68%が、1標準偏差に収まるって、
むかーーし、学校で、習ったよね。 
もっとも、ほんとは、株価を含む、経済分野のデータが、
正規分布にあてはまることを前提にするファイナンス理論なんて、あてにならない、
って不都合な真実だけど。 
MBAなんて、そんなこと、わざわざそんなでたらめなファイナンス理論を学校でならってきて、
彼の職場では、よーく、バタバタと吹き飛ぶと、ナシームは言ってますが。 


さて、ナシームニコラスタレブによれは、ポートフォリオのチェックをする頻度について、
「まぐれ(邦訳)」で、
「期間を短くとると、ポートフォリオのリターンではなくリスクを観察することになる。
つまり、見えるのはほとんどばらつきばかりだ。(邦訳のまま)」とのこと。
また、ナシームは、
「携帯電話で、自分のポートフォリオをリアルタイムの価格でチェックしているのをみると、」
ニヤニヤしてしまうとのこと。 


さらに、ナシームは、こうもいってます。 
「偶然性に気を取られすぎたヒトが、何度も苦しんだあげく、
精神的につかれてしまってもえつきるのもなぜかわかる。」 


邦訳をそのまま引用すれば、
「平均的な損失で人が感じる苦しみは、
同じだけの利益で人が感じる喜びの2.5倍の衝撃力を持つ」とのことです。


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リスクとボラティリティーは感じる結果、考えないのはマスコミのせい?ナシームの世界

ギリシャと中国が原因で相場がどうとか、テレビでもっともらしい顔して。。。?
高い給料もらって、こういうこと話すんだね。
マスコミのいう相場の下げは、標準偏差の範囲内。 


通常の正規分布に従うという前提で、何か問題? 
6σを超えるほどのブラックスワンじゃないですよね。。。いまのところ。 
不確実性とリスクについて、 
ナシームニコラスタレブによれば、 いろいろな違った歴史(物事がたどったかもしれない他の道)の中で、 「不確実」とは、それぞれの事象が実現する可能性の数がとても少ないことだと。 
そして、 リスクについては、 現実には、観察できない、と言ってます。 
現実の世界は、 
ロシアンルーレットよりもタチが悪く、弾倉が6個ではなく、何百か何千もあるみたいなものだと。 
何十回か引き金を引くと、 ヒトは、弾丸が一発入っているのをすっかり忘れ、感覚が麻痺して、安全だという錯覚に陥ってしまうとのこと。 
ブラックスワンが問題になるのは、他人に不運が降りかかったからといって、自分もそういう目にあうと限らないときめてかかってしまってしまうことだとのことです。 
私たちは、リスクに気づいたり避けたりする活動のほとんどは、「考える」のではなく「感じる」とのこと。 
さらに、ナシームによれば、ボラティリティーについて、 
皆の頭の中では、価格が急に上がるよりも下がる方がボラティリティーは大きいとのこと。


さらに、ボラティリティーは実際の価格の動きよりもマスコミの論調で決まるようだとも言ってます。 ナシームは、「まぐれ(邦訳)」を邦訳をそのまま引用すると、「大多数の常識に乗っかって遊んでいればお金が入るような、たかがマスコミごときとわざわざ口をきいてやる必要がどこにある?」と。 
「嘘八百を本当らしく語るか」(原文そのまま)説明して、さらに、 「今日、マスコミは私たちが出くわす最大の害毒だというたくさんの理由の一つがこれだ。世界はどんどん複雑になり、一方、私たちはどんどん単純化されたものばかり接するようになる。(原文邦訳そのまま引用」。


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家族の死亡ーナシームの「違った歴史」に思う

 以下、まず、ファクトのみ。 
深夜、携帯電話で起こされました。 
家族が死にかかってるとのこと。
覚悟しとくようにということだと、多分、理解したつもりでした。
ほんとは、すぐに、病院に来るようにという趣旨だった
かもしれませんでしたが。。。


そして、 今朝、 再度、病院から、電話。 
呼吸が弱くなってるから、 臨終に立ち会うようにと。


 慌てて、なんとか病院に到着したら、 まだ体は暖かく、 眠ってるのかと。。。 
ただ、
心電計などのモニターはフラット。 
もう意識はありませんでした。 
やすらかに亡くなりました、と。 
主治医があらわれて、死亡宣告。
死亡診断書はすぐ書きますよと。 
あとは、
事務手続きを、
流れ作業のように 
滞りなく、
こなしていただきました。
感謝。


そう、 みんな一度は死にます。 
当たり前ですよね。 
ただ、
家族の死亡は、幸せだった思い出が 溢れてきて。。。 
葬儀社のヒトが来るまでの時間、
ナシームニコラスタレブのいう、 「違った歴史」、
別の言葉でいえば、
「ありえた他の可能性(つまり、歴史が違った道をたどっていた場合)」を思ってました。 


たとえば、 もっと、早く、意識がない状態でも、病院にきていた可能性。 
まあ、どっちみち、死んだら同じ。。。? 
もっと、いい医者、いい病院に助かるように 手を尽くせたかも?
寿命は多少伸びても、手術すれば、 手術後の苦しさのなか、安らかにはしねなかっただろう。。。とか。 
もう起きてしまったことを、
あれこれ考えてもね。。。


ナシームの引用(邦訳の原文そのままです。「まぐれ(邦題)」から。。。 
「観察された結果と観察されないけれどもあり得た結果の両方を考慮すべきだなんて、 
むちゃくちゃだと思うかもしれない。」とのことです。 
「ほとんどの人にとって、 確率といえばこれから起きることの話で、
もう結果がわかってる過去の話ではない。」 
「もう起きたことの確率は100%、つまり確実だ。」 


死んだ家族には、二度と会えない。 あたりまえですが。。。。 


資産運用だけじゃなく、少なくとも、 家族の死亡については、これもナシームの世界だと思ってるうち、葬儀手続きに忙殺されることになりました。 
空き時間に、 自分のファクトをまとめました。
万が一、読んでくれるヒトがいたら、 カネ儲けとは、無関係な話、お許しください。


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